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【 Tone 1.滋賀 にほの海 】Phrase.8 鈍穴の石の三値論理 ~ This muddy vesture of decay(この朽ちゆく泥の衣)~

更新日:6月21日

 

「櫂さん。京都の庭は、禅宗から発達した悟りの境地を表す『立石』を多用する、『垂直』の庭だって言ってたわよね。それに対して、近江の庭は実用性を重んじた『水平』な庭だって」

「あぁ」

2人は、広い庭の散策を続けていた。

「ここに来て、実際に歩いて、その意味がわかったわ。京都の庭は『理想郷(彼岸)』を写したもの。近江の庭は『日常(此岸)』を整えるもの。コンセプトは違うけど、一見平坦な庭に見える地面に、随所に見どころがある。ここは、もしかしたら『眺める庭』じゃなくて、『歩くことで完成する庭』なんかも」

「歩くことで完成する、か。いい表現だ。観賞用じゃなく、体験型ってことだな。実際に、さっき言ったみたいに、木や石の配置で視線誘導も意図的にされてるしな」

「そうなの。何もないからこそ、たった一つ打たれた石に意味を感じるし、単に置かれたんじゃなく、『生えてる』みたいに感じる。まるで、はじめからそこにあったみたいに」

鈍穴は、敢えて低い築山に埋石を配置していた。

長い年月を経て苔むし、ほとんど築山に埋もれている。



「それは職人が目指す境地だな。はじめからそこにあったように、ごく自然に見えること。無作為の作為。派手な演出を加えることや、人目を引くことならいくらでもできる。『足し算』の建築だな。だが…、一番難しいのは『引き算』だ。引くからこそ、主題が引き立つ。それに、その主題に魅力がなけりゃ、主役は務まらねぇ。独り舞台をやり切る役者は、力量のある名優と評されるだろ? シェイクスピアで言えば、『リア王』だな」

「リア王…」



「リア王は、王としての権力や、華やかな衣装、取り巻きをすべて奪われて、嵐の荒野で裸一貫になったとき、初めて人間としての真実に気づく。王冠も衣服も脱ぎ捨てて、人間を『一本の毛のない、二本足の哀れな動物』と呼ぶんだ。これこそが『泥の衣』に囚われた人間から、肉体や世俗の虚飾をはぎ落した本質…。すべてを『引いた』先に、彼のむき出しの孤独と、魂の輝きが引き立つ。演じる俳優の生き様全てが舞台に出ちまうから、難役とされるし、演じ切ることができる俳優は限られる。全ての俳優が憧れる到達点だな」

「へぇ…。お能にも、最も演じることが難しいとされる役があるの。それが『三老女』と呼ばれる『関寺小町』、『姨捨(おばすて)』、『檜垣(ひがき)』…。私、『姨捨』を一度だけ見たことがあるの。月の名所の姨捨山に登った旅人の前に、昔山に捨てられた老女の亡霊が立つ。彼女は捨てられたことも、恨みも口にしない。都にいた時の華やかな様子や、人間の妄執について静かに語って、切ない舞を舞う。在りし日の美しい衣装を着て。そして、朝日の中、ただ佇むの…。お能やから仮面劇で表情も身振りもない。感情すら『引き算』されてるし、舞台上で演者はほとんど動かない。衣服も、肉体も、朽ち果てていく。残るのは、『月の光』だけ…。それなのに、目が離せなかった。圧倒されて、気がついたら涙が出てた。あの時舞台に立っていたのは、もはや人間の『泥のドレス』の器を脱いだ、純粋な『魂』そのものだったのかもしれない。実際に、演じられた役者さんはその後に亡くなったの。ご病気やったから、もしかしたら、最後の舞台と決意されてのことやったんかも。私が見たのは、櫂さんの言う、すべてを引いた先の、独り舞台……最期の『魂の輝き』…」

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