【 Tone 1.滋賀 にほの海 】Phrase.6 鈍穴の石の呼び声 ~ This muddy vesture of decay(この朽ちゆく泥の衣)~
- Aureilia

- 5月29日
- 読了時間: 13分
更新日:6月27日
先刻までの激しい通り雨はすっかり上がり、雲の切れ間から初夏の陽光が差し始めている。
「ほう…、見事な白壁だが…この腰板、ただの焼杉じゃねぇ。舟板か…!」
「櫂さん、見て! ようけ鯉が泳いでる…!」
「あ?」
「え?」
車を降りた2人は、五個荘(ごかしょう)の瀟洒な街並みに一歩足を踏み入れたまま、水路をガン見して立ち止まった。
傍から見れば、ただの不審者である。
五個荘――。鈴鹿山脈からの湧水を町中に巡らせた、近江商人の故郷。古くから北陸、東海、京都を結ぶ交通の要所である中山道沿いに位置し、在郷商人を中心に発展してきたこの町は、江戸中期になると商人たちが「のこぎり商法(産物回し)」という往復商売で莫大な利鞘を稼ぎ、その財で故郷のインフラ整備や人材育成に投資した。
往路は、近江特産の「高宮布(麻織物)」をはじめ、綿布や蚊帳などを天秤棒で担ぎ、遠隔地へ設けた「出店(支店)」へ運ぶ。復路は、北海道の海産物や九州の砂糖などを安く仕入れ、都で売りさばいて二重の利益を生み出す。この商法によって、実質運送コストを限りなくゼロに近づけたのである。尚且つ、全国に網目のように張り巡らせた情報網によって、どこで安く仕入れられ、何が高く売れるのかというビッグデータを、本店と支店の店子たちで瞬時に共有していた。
さらに五個荘の子弟は幼くして他家や支店へ丁稚奉公に出され、徹底的に実務と「算盤(そろばん)」を叩き込まれていた。優秀な使用人には「のれん分け」をして独立資金を支援する制度があったため、この小さな町から、次々と新しいスタートアップ企業が生まれたのである。
ワコール、チョーヤ梅酒、日本生命など、名だたる企業の創業者や株主が、五個荘の出身であることが知られている。
明治維新後は、いち早く外国語教育を取り入れ、世界を見据えたビジネス展開に舵を切った。五個荘をはじめとした近江商人たちが、日本近代化の礎を築いたのである。





