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【 Tone 1.滋賀 にほの海 】phrase 5 無明の闇を破る光 ~ This muddy vesture of decay(この朽ちゆく泥の衣)~

更新日:8月29日


 

「……なるほど。そういうことやったんや!」

助手席でスマホの画面を食い入るように見つめていた佳帆が、パッと顔を上げた。

先刻までの通り雨と、2日連続の過酷な登山で朝から疲労困憊していた佳帆だが、歴史オタクの性(さが)で、一度スイッチが入ると謎解きが完了するまで、衣食住のインフラが後回しになるのだった。

過覚醒したまま、佳帆が興奮気味に喋りかける。

「櫂さん、十三仏ってね、初七日から三十三回忌までの追善供養を司る十三の仏様のことやった! 今の時代、三回忌や七回忌で切り上げることが多いから、知らんかったわ…。初七日(7日目)、不動明王の『煩悩を断ち切り、迷いを払う』からはじまって、七七日 (49日目)の薬師如来で満願。ここで、『心身を清め、転生先が決まる』んやって! それでね、三回忌(2年目)の阿弥陀如来で『浄土へと迎え入れる』。ええっ! 天国に行けるの、2年後なん? 十三回忌の大日如来で、『宇宙の真理と一体化する』。そして、最後の三十三回忌(32年目)……魂が完全に天へ還る『弔い上げ』の道中を護るのが、さっき頂上にあった『虚空蔵菩薩』のお役目…! さ、32年経たな、魂は浮かばれへんの…?」

「浮かばれねぇんじゃなく、32年かけて、ゆっくりとこっち側の未練や哀しみを癒していくってことだろ。旅立つ者と生きる者が、互いに手を取り合って、もう一度山に登れるようになるためのリハビリ期間に、そのくらいかかるってことだ」

「あ、そうか…、そうよね。浄福を願うのは、祈りを捧げる方…。供養って、亡くなった方のためだけじゃなく、残された人がその死を受け入れて、自らの生を営んでいくための猶予期間…。十三仏に登ること自体が、慰霊だったのね。……そこでようやく、『無限の智慧と福徳を得る』んやて…」

ハンドルを握る櫂は、スモーキークォーツの瞳を前方に向けたまま、短く鼻を鳴らした。

「まぁ、安土だからな。新潟みたいな真宗大国で育った俺からすりゃ、蓮如上人が守山でも布教したこのエリアに、浄土真宗が根付いてるのは不思議じゃねぇ」

「ほんまや! 近江商人が真宗に帰依し、浄土への救済を願ったって書いてある」「基本的に真宗の教義は、阿弥陀如来一仏に帰依する『一向専念(いっこうせんねん)』にあるが、親鸞聖人は聖徳太子を観音の化身としてリスペクトしてたから、例外的に御影堂にも太子像を飾るよな。看板に聖徳太子が岩に仏を刻んだって書いてあったろ。だから土着の信仰と真宗が混じり合ったんじゃねぇか? …親鸞聖人は、天台宗の厳しい修行をしても煩悩を断ち切れないってことで山を下りて、聖徳太子に救いの道を求めて100日間六角堂に籠られたんだ」

「え、六角堂って、烏丸六角(からすまろっかく)の? 『池坊』さんの発祥地やろ?」

「そうだ。六角通って通りの名にもなってるだろ。今では『いけばな』のメッカとしか知られちゃいないが、四天王寺建立のための材木を求めて太子が立ち寄った場所なんだ。そこでお告げを受けて、如意輪観音像を祀る場所として御堂を建てたのがはじまりだ。太子の死後、側近だった遣隋使の小野妹子が出家してそこを護り、朝夕仏前に花を供えたのが池坊のルーツだと言われてる」

「えっ!? あの教科書に出てくる小野妹子が、お花のお家元のルーツなん!?」

「ああ。茶室にせよ座敷にせよ、花と土壁は切っても切り離せないからな。左官をやるなら花の歴史も知っとけって、親方がよく言ってたぜ……そうやって護り伝えられてきた六角堂で、親鸞聖人が『肉食妻帯(にくじきさいたい)』の夢告を受けたんだ」





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