【 Tone 1.滋賀 にほの海 】Phrase.14 竹生島と富士山 ~ This muddy vesture of decay(この朽ちゆく泥の衣)~
- Aureilia

- 8月17日
- 読了時間: 28分
更新日:2 日前
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「歴史を見返すと、ベスビオ山も、いきなり噴火したんじゃないのよね。西暦62年に、その前身になるような大地震が起こってる。ポンペイを含むカンパニア地方一帯が壊滅的被害を負ったの。そう言えば、富士山がプリニー式噴火を起こした49日前には、東海・南海・東南海連動型と推定されてる超巨大地震の宝永地震が起きてる…。もしかして、それがプリニー式噴火の引き金になったんかな?」
「あぁ。その可能性は高いだろうな。プリニー式噴火ってのは、圧力の変化で起るんだよ」
「圧力変化?」

「巨大地震が起こると、地殻に溜まってた歪みが一気に解放されるだろ。そうすると、地下のマグマ溜まりを押さえつけてた岩盤の圧力が急激に下がるんだ。マグマってのは、プレートに沈み込んだ岩石が、海水や地下水を巻き込んで高圧と高熱でドロドロに溶けたものだ。それがみっちり詰まったマグマ溜まりで急に圧力が下がったら、水が気化して1000度近い超高圧ガスになって、粉砕された岩石と共に火口から吹き上がる。よく振ったシャンパンボトルのコルク栓を抜く時みたいにな」
「シャンパン…発泡と同じ現象なのね…。あ、登山すると頂上付近で炭酸水が暴発したり、お菓子の袋が膨らんだりするわよね。あれと同じってこと?」
「そ。山頂は地表より気圧が下がるだろ。そこで炭酸水のボトルを開けると、中に溶け込んでた二酸化炭素が一気にガスになって飛び出すんだ。ベスビオ山も富士山も同じ原理だよ。富士山は、川があんまりない山だから、年間約20億トンもの大量の地下水が溶岩の隙間にしみ込んで、普段はそれがマグマを冷やしてる。忍野八海や白糸の滝、柿田川湧水なんかだな。遠いとこだと、富士川の河口あたりから、駿河湾の海底にも湧き出てる。だが、その豊富な地下水は諸刃の刃だ。頭を抑えてた蓋がなくなると、気化した水の体積が最大1700倍にも膨らんで、火口までマッハの速さで突き進む」
「え、音速ってこと? ってことは、首都圏まで火山灰の到達時間は…? 逃げる暇なんてある……?」

「落ち着け。マッハの速さでブチ上がるのは、火口から真上に向かう噴煙の初速だ。上空数万メートルの成層圏まで一気に突き抜ける。そっから先は、小プリニウスが書いてた通りだ。キノコ雲が松の木みたいに横に広がったって言ってるだろ。東京は富士山から東に100㎞。到達予測時間は、その時の風向きと速度によるな。だが、タイムリミットは『約2時間』だよ」
「2時間……! 映画みたいに、一瞬で街が灰に埋もれるわけじゃないのね…」
「あぁ。上空の偏西風に乗って、時速100キロちょっとのスピードで灰の雲が迫ってくる。1707年の宝永大噴火の時も、江戸の町に最初の灰が降り始めたのは、富士山が爆発してからきっちり2時間後だったって記録が残ってる。……ただ、逃げる暇があるかって言われたら、別の意味で『ノー』だな」
「別の意味?」
「灰が降り始めたら、数mm積もっただけで道路の白線は見えなくなるし、車のフィルターが詰まってエンジンが止まる。電線にも降りかかるから、大規模な停電になって電車も一瞬でストップだ。灰が浄水所に入っちまったら水道は使えなくなるし、下水に入ったら灰がセメントみたいに固まってトイレが詰まる。それに、火山灰ってのはガラス質だからな。目や肺に入ったら一発でやられるぞ。つまり、『首都圏にいる人口約3700万人が、2時間以内に安全な建物の中に、2週間分の水と食料を持って立て籠もるか、上風(西)へ逃げねぇと、物理的に身動きが取れなくなる』ってことだよ」
「西へ逃げるって言っても…。新幹線に乗って西日本へ向かうってこと? 東海道新幹線も東名高速も、富士山の麓を通るのに?」
「そうなんだよ、日本の物流と交通の大動脈は、全部富士山の真横を走ってる。宝永大噴火の時は、麓の御殿場付近に3mも灰が積もった。噴火の直撃を受けるエリアだから、真っ先に運行停止と通行止めだ。中央道だって火山灰の直撃を食らう。おまけに飛行機だって、アイスランドの噴火の時みたいにエンジンに灰が吸い込まれりゃ墜落するから、羽田も成田も一発で全便欠航さ」

「実質脱出不可能よね…。もし貞観地震の時みたいに、阿蘇山まで一緒に噴火したらどうすればいいの……。あれ? 鹿児島の人達はどうして普通に暮らせてるの? 桜島、よく噴火するわよね?」
「そうだな。俺が2月に九州に来てから、既に100回は噴火してるよ」
「えっ⁉ ほぼ毎日やん! 東京だと2時間で首都機能がマヒするのに?」
「噴火には、いくつか種類があるんだよ。桜島のはブルカノ式噴火って言って、粘り気の強い安山岩(あんざんがん)質の火山で多いタイプだ。マグマの粘度ってのは、シリカの分量で決まるんだ。富士山は本来、玄武岩質でサラサラ流れるはずなんだが、宝永大噴火の時は地下でドロドロの流紋岩質マグマと混ざり合っちまったから、あんなプリニー式の大爆発になった。安山岩質はその中間だな。適度な粘度だからこそ、溶岩ドームを形成して、火口でマグマが冷え固まって蓋みたいに塞ぐんだ。そこに定期的に二酸化硫黄や水蒸気が溜まって、まさにコルク栓を抜く時みたいな派手な音を立てて爆発する。でも、プリニー式みたいに数千年間溜め込んだ巨大マグマ溜まりが一気に崩壊するわけじゃないから、一回あたりの被害が小規模で済むんだよ」
「でも、街に灰は積もらないの?」
「桜島の火口から市街地までは約10㎞離れてるからな。毎日のように噴火するから、浄水場や発電所は常に降灰対策をしてるし、エアコンの室外機にもフィルターがかけられてる。新潟だと除雪車が走るけど、鹿児島はロードスイーパー(清掃車)が出動する。都市のインフラ構造が、火山との共生スタイルで完成されてるんだな。ま、鹿児島の住民にとったら、桜島が噴火するのは雨が降るのと同じ感覚なんじゃねぇか? 降灰予想が天気予報と一緒に報じられてるし、克灰袋ってのが配られて、みんな毎週ゴミを捨てる感覚で灰の掃除してるぞ」
「それもすごいわね…。確かに、桜島が噴火しても、みんな洗濯物の心配しかしてないわ…。全く噴火に動じなかった大プリニウスみたい…」
佳帆は天を仰いだ。

「櫂さんと話してると、ストア派の哲学者セネカの言葉を思い出すわ…。『大災害を特別視して過剰に恐れる必要はない。自然現象を知ることで、人間の心の迷いを消す』って言ったの。大プリニウスも友人やったから、セネカと同じく、自然科学で地震や噴火のメカニズムを解き明かそうとしてたのね…」
「セネカか。悪名高い皇帝ネロの、初期の善政時代を支えたブレーンだな」
「うん。彼が62年に起きたポンペイの地震について、詳細な記録を残してるの。『自然研究』第6巻まるまるその記述に充てられてる。セネカや大プリニウスと違って、科学的な知識を持たない人達は、当時迷信に溺れてた。地震や噴火は神の怒りだとされていたの。あまりの恐怖で精神疾患になる人もいたんやって。ポンペイ遺跡には神に生贄の牝牛を捧げようとしたレリーフが残ってるし、解放奴隷の東方系住民を通してイシス信仰が広がって、私財を投じて神殿を寄進した人が有力者にのし上がったの」
「あぁ、天平時代の人々が大仏に祈ったのと全く同じだな。そう言えば、ポンペイからは、世界最古の『サトル・スクエア』が見つかってるんだ。火除けや悪霊払いのお守りとして、ヨーロッパ中に広がった古代の呪文だよ。ウェールズでも、最初期のものが出土してる」
「へぇ。そういう習慣、世界中にあるのね。京都でも、子供が3歳になるまでに火伏の神様が祀られてる愛宕山にお詣りしたら、一生火難に遇わないって信じられてるの。毎年登山して護符をもらってる人もいるわ」
「あの『火迺要慎(ひのようじん)』の札か。左官で京料理店の施工に入ると、必ず厨房に貼ってあったな」
「そう、それそれ。古代の人々は、病気が目にみえないウイルスや毒素のせいで、噴火はマグマ溜まりの減圧のせいだなんて知らなかった。神仏に祈るしかなかったんやわ……。小プリニウスの書簡にも、どんなにみんながパニックになってたか、当時の様子が生々しく記されてる。ベスビオ山の噴火の時は、海軍提督の大プリニウスが軍艦を何艘も従えて救援に向かったから、小プリニウスが留守番をしてた街には指導者が不在だった。彼はまだ17歳だったの」
「あぁ、まだ未成年だったのか…。そんな時に自分のヒーローだった叔父が亡くなったんだな」
「えぇ、書簡集からも、大プリニウスを尊敬していたことが節々から感じられるわ。提督の甥として、彼の家には街の人々やスペイン人逗留者が集まってきて、屋内に留まるか、屋外に退避するか、避難の是非を問われたの。きっと噴火の空振による引き波だと思うけど、海は干上がって、被災地からナポリ湾を挟んで30㎞も離れた彼らの別荘地にまで、海を越えて灰が迫ってきたんやって。体を押しつぶすような重い灰が降って来て、女子供達は泣き叫ぶし、神に祈る人や、もはや神はいないと恐怖のあまり死を願う人まで出てきて、群衆が集団ヒステリーに陥ってた様子がよくわかる。夜明けなのに真っ暗で、声でしかお互いがどこに居るのかわからなかったって。小プリニウスは、世界が滅びるのだと感じたと結んでる…」
「まさに、2014年に起きた御嶽山噴火と同じ状況だな。あれはマグマじゃなく、地下水が一気に気化した『水蒸気噴火』だったんだ。だが、真っ暗な灰の嵐に包まれる恐怖感は、79年に生きた人々が経験したことと寸分変わらなかっただろうな」

「あっ、登山者が動画をUPしてたわね。1分もしない間に灰に追いつかれて、真っ暗な中落石が降ってくるの…。被害に遭われて、まだ見つかってない方もいらっしゃるわ…。そうか、マグマの爆発を伴わなくても、水の気化だけで御嶽山級の被害が出るのね。もし富士山がマグマと合流したプリニー式噴火を起こしたら、一体どうなるの……」
「既に前回の噴火から300年経ってるからな…」
「過去の記録を見ても、大地震の後にプリニー式噴火が起こってる…。東日本大震災から、既に10年。いつ起こってもおかしくないわね……」
「そうだな。大噴火の前には地下でマグマが移動するから、ポンペイの地震は火山性地震だった可能性もあるな。東日本大震災後はまだ大きな火山噴火はねぇけど、ベスビオ山みたいに17年も経って大噴火を起こすこともある。噴火や地震の仕組みは科学の進歩で解明されたけど、実際に被害に遭ったら知識なんて何の役にも立たねぇ。せめて何時、どこで、どんなタイミングで起こるのかが予測できればな……。一体、何がトリガーなんだ」
櫂の言葉は、重い沈黙の中に消えていった。
現代、地震が起こるプレートのメカニズムは解明され、研究が進んでいる。マグマがどう上昇し、どのように噴火を引き起こすのか、仕組みをPCのシミュレーションで眺めることができる。
しかし、ひとたび大地が割れ、山が怒り狂えば、その「解明された仕組み」は何の盾にもならない。立っていられない程の揺れや灰に追いつかれる1分間の恐怖の中で、スマホの災害予報は命を救ってはくれないのだ。
かつての人々は、予測できない大地の揺れや火山の炎を「神仏の怒り」と呼び、必死に祈りを捧げた。現代の私たちは、それを「科学的根拠のない迷信」と呼ぶかもしれない。
だが、いつどこで起こるか分からない破滅のカウントダウンに怯え、人知を超えた巨大な力を前にただ平伏するしかない今の我々の姿は、大仏や神殿を建て、護符にすがり、天を仰いでいた何百年も前の人々と、一体何が違うというのだろうか。地震や噴火のメカニズムが解明され、建物の耐震構造を補強し、懸命にインフラを復旧させても、人類は今もなお、自然の驚異の前には無力な存在であるのだ。

ふと、佳帆は櫂の言葉を思い出した。ミヤケ・イベントは約1000年周期で繰り返している可能性がある。そして、空海が生まれた774年に起きた―。
「あ…。お大師様の、『宇宙の気象予報』…!」
「ん?」
「初めて会った時、櫂さん『宿曜経(しゅくようきょう)』のことを、星のノイズを読む『防災マップ』だって言ってた!」
「そういやそうだな」
「古代ローマでは、地震や天変地異の後、星読みや占いは社会不安を煽ることに繋がるって禁止されたけど、お大師様は彗星や月食なんかのイレギュラーな現象を見て、吉凶占いをしたんやない。暦……、つまり、『太陽と地球、月、それに太陽系の周期と天体の配列』を見て、高度な天文学の計算をしてたの! 三宅先生の論文にも、『ミヤケ・イベント』は、お大師様がお生まれになった774年から775年まで1年続いたって書かれてる。それに、もう一つ。同じ屋久杉のサンプルから、993年から994年にも大規模な太陽のスーパーフレアがあったことが報告されてるの。ミヤケ・イベントが起こる時に地殻変動の活動期が重なって、巨大地震や噴火が起こるとしたら…? 何か、この周期を解明することで、天災を予測できないかしら?」
「着眼点は面白いがな…、検証しないといけないことが山積みだぞ。まずもって、ミヤケ・イベントで地殻変動が活発化するってことを証明しなくちゃな。だが、前提条件のミヤケ・イベント自体、まだ太陽フレアの影響なのか、それともガンマ線バーストのせいなのか、解明されてねぇ」
「ガンマ線バースト?」

「光速に近いジェットのプラズマが、閃光みたいに放出される、宇宙で最も激しい爆発現象のことだ。太陽フレアが太陽由来なら、ガンマ線バーストは宇宙由来っていう違いがある。僅か数秒のこともあるし、数時間続くこともある。太陽の数十倍以上ある超大質量の星が一生を終える時の超新星爆発で発せられるとも、中性子星同士の合体でブラックホールが生まれる瞬間に放たれるとも言われてる。その威力は太陽が100億年かかって放つ光に匹敵する。もし数千光年って近距離で起こったら、オゾン層の壊滅的な破壊や酸性雨、地球規模の気候変動が起こって生物の大量絶滅が起こると考えられてる」
「数千光年離れてても、僅か数秒浴びただけで生物が絶滅する…? そうか…、ミヤケ・イベントって、太陽フレアの巨大なバージョンやと思ってた。太陽系以外からの影響も視野に、まずミヤケ・イベントが、一体何が原因で起こるのかを調査しないといけないのね」
「あぁ。数千光年離れた超新星爆発の予測に加えて、そのジェットが地球に直撃する軌道計算なんて、まだ火星にすら着陸できてない人類には難しいぞ」
「え、これだけ望遠鏡の技術が進化して、世界中に観測所があるのに? 隕石の落下みたいに、ガンマ線バーストの発生を観測して、予測できないの?」
「過去の爆発を先回りして観測することは不可能なんだ。例えば七夕の星の、彦星のアルタイル、織姫のベガはそれぞれ17光年、25光年離れてる。どっちもガンマ線バーストを起こす程の質量はねぇけど、もし17年前、25年前にガンマ線バーストを起こしたと仮定したって、望遠鏡に写るのは穏やかに瞬く彦星と織姫の姿ばかりだ。俺達が星の崩壊を知れるのは、爆発の閃光が届く『今』しかねぇ。いつだって俺たちは、過去の光を見てる。未来の光は先取りできない。光は時間を越えられねぇんだよ」
「そうか…。じゃあ、もし宇宙のどこかでガンマ線バーストが起こっても、私たちがそれを知るのは、ほぼ地球への着弾と同時ってことなのね。直撃の瞬間まで、人類は何も気づけないの……?」
「……いや、光じゃなければ、一つだけ『裏技』がある」
櫂が、不敵な笑みを浮かべる。
「裏技?」
「日本の岐阜県の地下深くにはな、東京大学の宇宙線研究所が持ってる、『スーパーカミオカンデ』っていう、巨大な純水のタンクが埋まってる。常に超新星爆発の予兆を検知する為に、宇宙のノイズに耳を傾けてるんだ。星が爆発する瞬間、光よりも先に、あらゆる物質をすり抜ける『ニュートリノ』っていう幽霊みたいな粒子が解き放たれる。光は星のぶ厚いガスに阻まれて外に出るのに数時間かかるが、ニュートリノは一瞬で星を突き抜けて飛んでくる。もし近くで超新星爆発が起こったら、ガンマ線バーストが地球を焼き尽くす数時間前に、スーパーカミオカンデのセンサーが、ニュートリノの嵐を検知するはずだ。それが、人類に残された唯一の、最後の『タイムリミット数時間』の災害速報さ」
「スーパーカミオカンデ……。日本にそんな世界最先端の施設があるなんて知らなかった。宇宙からのノイズを聴くための施設を持っているのって、日本だけなの?」
「いや、一番のライバルは、南極点の地下に埋まってるアメリカの『アイスキューブ』だ。あいつらは賢いぞ。日本みたいに山を掘って巨大なタンクを作るんじゃなくて、南極の深さ2㎞の巨大な氷の塊をそのまま天然のレンズとして使ってやがる。規模だけで言えばスーパーカミオカンデの数百倍だ。それに、カナダの深い鉱山の地下にも『SNO+』って施設がある。日本にももう一つ、初代カミオカンデの跡地に、東北大の『カムランド』って別の施設も眠ってる。世界中の科学者が、ノーベル賞と『世界の終わりの予報』をかけて、地下深くで必死に宇宙のノイズを聞き取ろうとしてるのさ」
「ノーベル賞…?」
「2002年にノーベル物理学賞を受賞した、小柴昌俊博士だよ。初代カミオカンデを使って、16万光年先の大マゼラン雲で起きた超新星爆発から飛んできた、物体を通り抜けるニュートリノの観測に、世界で初めて成功したんだ。電磁波やエックス線でも観測できない、理論上の存在でしかなかったニュートリノを、11個も捉えて証明した。遥か彼方の宇宙から、僅か数秒の間に何万って降りそそぐ、地球さえすり抜けちまう幽霊みたいな素粒子を捕まえるなんて、奇跡みたいな確率だけどな。実際に、岐阜の水タンクにぶつかって青い光の足跡を残した、星の最期のメッセージを解読してみせたんだ。ニュートリノ天文学っていう、新しい学問の扉を開いた偉大な先駆者だ。彼のゼミ生だった梶田隆章博士も、新しいカミオカンデで、ニュートリノに質量があって振動してるってことを解明して、ノーベル物理学賞を受賞してる」
「すごい、ニュートリノの研究から2人もノーベル賞受賞者を輩出したのね」
「あぁ、彼らのおかげで、人類は光以外の方法で宇宙の声を聴くことができるようになったんだ。あんたの専門の考古学分野でも、彼らの功績を応用して研究が進んでるだろ? ピラミッドの内部に巨大空間があることを、『ミューオン』っていう素粒子を使って発見したってやつさ」
「あ! 2017年の、名古屋大学の森島邦博准教授や高エネルギー加速器研究機構との、国際共同研究チームの発表ね! 大ニュースになったわ。クフ王のピラミッドに、全長30メートルを超える未知の巨大空洞(ボイド)が広がってることを発見した。4500年もの間、誰も見つけられなかった王の墓の秘密の部屋を…」
「そ。彼らは、宇宙からシャワーみたいに絶え間なく地球に降り注いでるミューオンを使ったんだ。岩盤すら通り抜けるミューオンの特性を利用して、ピラミッドのレントゲン写真を撮って、内部の空洞を透視してみせた。……宇宙から降ってくるノイズは、時として数千年の沈黙を破って、隠された建造物の『形』を浮き彫りにするのさ」

素粒子の世界に、佳帆は息を呑んだ。宇宙から届く目に見えない粒子。それが、地球を滅ぼす凶器にもなれば、世界の終わりを告げる警報にもなり、さらには古代の巨大建造物の謎を解く鍵にもなる。
「宇宙のノイズ…。石の声を聴いて、天災を予兆する……。ねえ、櫂さん。もし、古代の人たちが、その宇宙からの警報を感知してたとしたら? ピラミッドも、櫂さんの『石の呼び声』の写真集に写ってたストーン・ヘンジも、同時期に建てられてる…。この時、地球規模の天災が起こったと言われてるの。もし、まだ発見されてないミヤケ・イベントのせいで、地震や噴火が続いて、その予兆を観測するために…あるいはノイズを調律するために、古代遺跡が造られたとしたら…?」
「……おいおい、ロマンに火がつきすぎだろ、社長。ピラミッドが宇宙線を観測するカミオカンデだったって言いたいのか?」
櫂は呆れたように一笑に付した。しかし、その煙水晶の瞳の奥には、佳帆の直感に対する、かつてない知的な興奮の光が確かに灯っていた。
「もしそうだとして、地震や噴火なんて毎年のように世界中で起こってる。ミヤケ・イベントの前後に地球規模の天災が集中してると仮説を立てるなら、そのデータが必要だ。だが、問題は近年に774年クラスのミヤケ・イベントは起こってないってことだ。774年は、1859 年のキャリントン・イベントの数十倍の規模だったんだろ? まだその規模のミヤケ・イベントが2つしか発見されてないから、立証は難しいな」
「ううん、紀元前660年頃にも起こってることが発表されてるの。しかも、単年度だけじゃなく数年間にわたって続いたことを、山形大学をはじめとした研究グループが、世界で初めて発見してる。それに、京都大学や三宅先生達のグループが、大英博物館に所蔵されてる古代アッシリアの王に献上された占星術レポートが書かれた粘土板に、紀元前680年~650年の間にオーロラ様現象の発生が3回記録されてることを発見して、考古学的にもそれを裏付けたの。アッシリアは今のイラクのあたりやから、中東で低緯度オーロラが見えたってことになる」

「あ、紀元前660年のやつか。それならグリーンランドの氷床コアから太陽プロトン現象の痕跡を発見した、スウェーデンのルンド大学(Lund University)のパスクアル・オーヘア(Paschal O'Hare)氏らの国際研究チームの論文が先だな。三宅先生達が樹木年輪から発見してる炭素14だけじゃなく、宇宙線生成核種のベリリウム10や、塩素36の高精度データを組み合わせて、複数の放射性同位体の急上昇を特定したんだ。彼らはガンマ線バーストじゃなく、太陽粒子線バーストだって結論付けてたよ」
「じゃあ、やっぱり太陽フレアなのかしら…」
「わからねぇ。まだ発見されてるものが少なすぎるな。ルンド大学チームが、太陽フレアだって絞り込んでんのは、アイスコアの塩素36の比率から、近隣で陽子を飛ばせる天体が太陽くらいしかないから、『太陽からの陽子の嵐(SEP)』以外ありえねえって理由なんだ。簡単に言えば、太陽フレアは陽子、ガンマ線バーストでは光が飛んでくる。実は、宇宙では太陽みたいな単体の恒星ってのは少ないんだ。恒星の75%は太陽よりも質量が小さい赤色矮星だし、巨大フレアを起こす恒星の多くは伴星を持つ連星タイプだからな。お互いの磁場が干渉し合うからだ。だからこそ、一匹狼の俺達の太陽が、伴星もなしに何をきっかけに巨大な太陽フレアを起こすのか未解明なんだ。ただ、近隣に太陽に影響を及ぼすような天体がないから、過去のミヤケ・イベントと照らし合わせても、陽子の痕跡からして太陽フレア一択だと一応はまとまってる。だが、三宅先生達だって、単純な太陽フレアのせいだとはまだ決め切ってねぇ」
「決め切ってない? どうして?」
「期間が長すぎるんだよ。山形大学チームが発見したみたいに、普通の太陽フレアなら数日で収まるはずなのに、年輪のデータじゃ1年以上も宇宙線が降り続いた形跡がある。太陽が数年間も超巨大爆発を連発し続けられるのか、それとも大気の流動や緯度の違いで痕跡に数年のズレができたのか。未知の彗星が太陽を刺激したのか。もしくは、太陽系が宇宙のチリの濃い星雲を通過したタイミングでの異常値なのか……。何が原因で、どういう周期でそれが起きるのか、その『正体』はまだ誰も解明しちゃいないのさ」
「そう…。ミヤケ・イベントが地殻変動と関係あるかもっていうのは思いつきやから、まだまだ色んな可能性を勉強しなくちゃいけないわね」
「いや、そのアイディアを頭に入れとく必要はあるぞ。774年クラスのミヤケ・イベントで実際に何が起きるのか、見た奴なんていないんだからな。そういう意味では、京大チームが発表した、考古学的裏付けは面白いアプローチだよな。中東でオーロラが観測できたなんて、科学で解明されてないことを考古学が先に発見するんだ。社長の得意分野じゃねぇか」
「そうか…。実はね、私、紀元前660年って聞いた時びっくりしたの」
「何で?」
「神武天皇の即位年が、紀元前660年だって言われてるから」
「は? 誰だそれ」
「もう~! ヤマト王朝を建国した初代天皇やんか!」
「ほう……。じゃ、日本はミヤケ・イベントの年に始まったってことか?」
「まだ日本という国名はなかった頃のことやけどね。少なくとも、縄文から弥生へと移り変わる時代に、小さな国が凌ぎを削り合ってた状態を統合して、統一王朝を建てたという意味では、日本建国年と言えるわね。まぁ、アーサー王と同じで、神話や伝説上の天皇だという説もあるけど」
「なるほど。神武天皇も空海も、英雄的存在とミヤケ・イベントがクロスするのはロマンがあるよな。まだ科学的には見つかってない、他の年代にミヤケ・イベントが起きてた形跡を、考古学から辿れる可能性があるってことだ。兎も角、今見つかってるものの年代差は、1433年と219年か…。これじゃ周期性がさっぱりわからねぇな。地震や噴火の活動期と、何か規則性でもあるのか…?」
「規則性…。南海・東南海地震を引き起こす、断層の活動周期みたいなもののこと? 南海トラフは、100〜150年間隔って言われてる」



