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【 Tone 1.滋賀 にほの海 】phrase1 名神高速の翠風 ~ This muddy vesture of decay(この朽ちゆく泥の衣)~

更新日:10 時間前


【 Phrase.1 名神高速の翠風 】

 

2021年6月21日 夏至

樹々の縁が眩しい初夏の午後。

京都市左京区岡崎にある星舟舎のオフィスを出発し、名神高速を東へひた走るドライブコース。星野 櫂 は、フォギー・ブルーパール・メタリックのスズキ「ラパン」を滑らせた。

爽やかな光が射し込む車内には、初対面の東寺で吹き荒れた緊張感を孕むブリザードとは打って変わって、どこか気の置けない緩やかな空気が流れていた。

 

愛車の運転席を櫂に譲り助手席に座る 藤川 佳帆 は、窮屈そうに身を投げ出してハンドルを握る彼の横顔と、ダッシュボードに固定された真新しい巨大なスマートフォンを交互に見て、ふふっと笑いを零した。

「……何がおかしいんだよ、社長」

前を見据えたまま、櫂が低い声で咎める。

「ううん。あの『メールはシベリアの永久凍土から届く業務連絡』の櫂さんが、まさか最新機種の『iPhone 12 Pro Max』に買い替えはるやなんて、思わへんかったから」

くすくす笑いながら佳帆が答える。

「……誰のせいだと思ってんだ。日本での連絡用にとりあえず持ってた格安スマホが、あんたから送られてくる超長文メールと、重い画像データの連続受信でパンクしたんだよ。ったく、なんだよありゃ、辞書か?」

呆れたようにため息をつく櫂に、佳帆は少しだけ頬を染めながら弁明した。

「辞書て。これから編む『羽衣本』の、完成度を上げるための創作の裏打ちやんか。羽衣伝説の裏に流れるシルクロードを通じた染織史と、『記紀(古事記、日本書紀)』や国風文化の歴史観が根底になければ、『羽衣』は撮れへんの」

「…おかげで、中学の頃は寝てた歴史に、やたら詳しくなったぜ」



© kai hoshino
© kai hoshino

 

5年8ヵ月振りの日本の大地。ロックダウンから逃れるように帰国し、九州に拠点を置いたとはいえ、イギリスでの生活が長かった櫂には、日常的に会って酒を飲むような知人もいなかった。コロナ禍の中どこへも行けず、撮影の仕事も制限され、蒸し暑い部屋で一人息を潜めるしかなかった空白の数ヶ月。

そんな彼の元には、連日のようにピロン、ピロンと通知が届いていた。


『件名:Re: 緊急事態宣言発令のため撮影延期願い|ロケ地、長命寺の由来について』

『件名:Re: Re: 追記・長命寺と武内宿禰、聖徳太子の関係』

『件名:Re: Re: Re: 再度追記・瀬田の保良宮を舞台にした、道鏡の宇佐八幡宮神託事件の発端と、人物関係』

『件名:Re: Re: Re: Re: フェリー再開したら行きたい竹生島と、弁財天の本地垂迹』

『件名:Re: 2月東寺データ|感動!世界に分布する白い布への祈りと考察』

メールボックスに届く、京からの東風(こち)。

「……またかよ。ほんと、こいつの頭の中どうなってんだ」

櫂は呆れたようにため息をつきながらも、その長すぎるメールを一文字残らず、スキャンするように読み返していた。閉ざされた世界の中で、唯一感じられる光源を現像するために。

撮影候補地が送られてくる度、Google MAPでロケ地の地形を確認し、照度と露出をイメージングしては入射光を測定していた…とは、不言実行型の職人気質の彼の口から、発せられることはない。

 

「それにしても、よかったわぁ。昨日で緊急事態宣言が明けてくれて」

助手席の佳帆が、大きく伸びをしながら安堵の息を吐いた。

「今日の竹生島行きのフェリー。もし宣言が1日でも延長されてたら、運行してなかったかもしれへんの。夏至の神様からのプレゼントやわ。ええ夏越の祓(なごしのはらえ)になったね」

「全くだ。春からずっと足止め食らって、カビが生えるかと思ったぜ」

ハンドルを握る櫂が、深いスモーキークォーツの瞳を前方に向けたまま、低く応えた。

「やけど、2月の東寺から4ヶ月も空いてしもたのに、櫂さん、よく私のオファー断らんと待っててくれたね。……ほんまは、あのまま九州に帰って、もう連絡つかへんのちゃうかって、ヒヤヒヤしてたん」

佳帆の言葉に、櫂は鼻で短く笑った。

「断るも何も……あんたが3日と空けず論文を送りつけてきたんだろうが」

「えへへ……。ごめん。けど、ちょっとは暇つぶしになったやろ?」

「まぁな…」

櫂は、窓の外を流れる景色に目をやりながら、誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。

 

「私ね、メールでも伝えたけど、ほんまに感動したん。2月の東寺で撮ってくれはった、あのスナップ写真の光……。私たちが普段染物や印刷のインクで使うのは、混ぜれば混ぜるほど黒く濁ってく、『色の三原色(CMY)』。やけど、櫂さんの写真は違った」

佳帆のブルー・アンバーの瞳に、フロントガラスの照り返しが映り込み、インペリアル・トパーズに輝きはじめる。

「櫂さんのレンズが捉えてるのは、『光の三原色(RGB)』。光は、赤・緑・青の波長が重なり合えば重なり合うほど、無色透明な『純白』へ近づいていく……。そう、櫂さんの写真は、ただの風景の記録やない。光を、写してる。宇宙から降り注ぐ光を足し算して、世界を一番ピュアな『素(しろ)』に還元する、魔法みたいな現像やったんやもん!それ見てたら、世界中で信仰されてる白い布に対する『祈り』の文化的側面を比較検証したくなってきて…」

一度オタク・スイッチが入ると、研究分野である歴史と色に関する、宇宙語のような専門用語の羅列が溢れる。その熱烈なインスピレーションの源が櫂の写真だと、無意識に褒めちぎる佳帆に、櫂は「……チッ」と舌打ちしながらも、片手で口元を覆い、照れ隠しのように視線を外した。

「……光の加法混色なんて、オタクのあんたに言われるまでもなくカメラマンの基本だ。だがまぁ……、あんたのその『色彩の翻訳能力』は、悪くねぇよ」

「えっ、ほんまに!?」

「ああ。だからわざわざ、あんたの重容量メールを固まらずに受信するために、一番デカい端末に買い替えてやったんだ。512GBあれば何とかなるだろ。感謝しろよ」

辞書だ論文だのと文句を言いながらも、彼がきちんと最後まで目を通していることを察し、佳帆は胸がほっこりと温もるのを感じた。

「ふふ。ありがと、櫂さん」

「…まぁ、あんたの布を撮るには、かえって好都合だ。超広角、望遠のトリプル12MPカメラも付いてるし、いざとなりゃ暗所でも撮影ができる。それに、『LUMIX Sync』の公式アプリが使えるようになったからな。これでLUMIX S1Rに同期させてスマホで遠隔シャッターが切れるようになったぜ」

「遠隔シャッター?」

「そ。星や岩を撮るならSIGMA純正ボディで決まりだがな。布の色を撮るには、SIGMAのじゃじゃ馬センサーがどう暴れるか予測がつかねぇ。被写体によって眼(ボディ)を変えるんだよ。撮影スケジュールに文化財の古裂(こぎれ)が入ってただろ。そんな貴重なものを撮る時は、シャッターボタンを指で押す微細な振動すら、絵の邪魔になることがあるからな」

ぶっきらぼうな口調の中に隠された、被写体への異常なまでの誠実さ。

ウェールズでの古城の修復やガイド経験で、櫂には古いものに対する畏敬の念が自ずと身についていた。インナーは無頓着なスポーツウエアで済ませているのに、カメラ周りには課金を惜しまない職人気質の櫂のこだわりは、普段からミリ単位の色やデザインの「細部に宿る美」の世界で生きている佳帆に、好ましく映った。

「そう…。その、『パシフィックブルー』のカラーリング。深い海の色みたいで、櫂さんによう映ったはるわ」

皮肉を引っ込めた精一杯の感謝のつもりだったが、天邪鬼な櫂は「うるせぇよ」とつぶやく。

佳帆は、軽快な軽口の応酬に、子どもの頃バスに乗って讃岐まんのう公園へ遠足に行った時を思い出していた。前日からワクワクして、興奮で眠れなかったのだ。

こんなに楽しいんは、久しぶり…。いつも、男性と密室になるのを避けてたのに。口は悪いけど、櫂さんの隣は、なんや、あったかい…。

窓から抜ける翠風が、心地よく髪を撫でていった。

 

「……あ、でも、その漆黒のバブアーのジャケット、暑くないん?」

佳帆が不思議そうに首を傾げると、櫂はラパンのエアコンの風量を少し上げながら答えた。

「これは4オンスの『ライトウェイト・ワックス』だ。薄手で熱は逃がすが、オイルが染み込んでるから梅雨時の急な雨も弾く。……被写体や布に、余計な俺の服の色が反射して色被りしねぇように、現場じゃ黒を着るって決めてるからな」

「へぇ。ポリエステルの撥水加工やなく、油を浸みこませてつくられてるん? 昔、瀬田西ICの近くに、孝謙天皇の『保良宮(ほらのみや)』っていう都があってね。757年に施行された『養老律令 賦役令(ぶやくりょう)』にも、油でコーティングされた布が出てくる―。古代の海人族である大隅・薩摩の隼人(はやと)達に、絹に油を染み込ませて防水性を持たせた『油絹(あぶらぎぬ)』、今でいうレインコートを朝廷に納めさせていた記録があるの。日本で失われた古代の技術が、イギリスでは現役で使われてるのね」

佳帆は、イギリスの伝統的なオイルドジャケットを着こなす櫂の姿を仰ぎ見た。最新のゴアテックスなどの化学繊維ではなく、『布と油』というクラシックな装備が、粗野な風貌に似合わず美しいアクセントのクイーンズイングリッシュを話す彼と、不思議に溶け合っていた。



© kai hoshino
© kai hoshino

 

その時、急に目の前を滋賀県ナンバーの車が車線変更で横切った。

視力2.0を誇る櫂は、巧みなハンドル捌きで回避する。さっと助手席に強靭な腕を伸ばして、急ブレーキで前のめりになる佳帆とダッシュボードとの空間に防壁を作り、フロントにぶつかりそうになるのを制御した。

「…っ!も~!ほんま、ゲジゲジはフラフラ膨らんで、かなんわ~」

不意を突かれ、激しく高鳴る動機を押さえるように、佳帆が毒を吐く。

「おいおいおい。聞き捨てならねぇな。ゲジゲジとは何だ。滋賀は日本文化の背骨だぞ。お前が大好きな『源氏物語』だって、あの瀬田川の南に見える石山寺で着想を得たんじゃねぇか。石山寺って行ったことあるか?そりゃすげぇ巨石の山で、その正体はなんと国指定天然記念物に指定されてる『硅灰石(けいかいせき)』だぜ。太古の海底で堆積した珊瑚が、マグマの熱で変質したやつで…」

「石のウンチクは聞き飽きました~!」

「くそっ。これだから京都人は。琵琶湖疎水の水門締めてやりゃあいいんだよ」

「私、京都人ちゃうもん。高校まで母の実家の香川県で育ったし。田の字地区(現在の京都市の中京区・下京区の中心部。室町時代は上京・下京が洛内と呼ばれた)に3代住まな、京都人やて認められへんの。それに、父方の藤川の本家は丹後。完全に洛外やから」

「洛外?」

「教科書で見たことない?洛中洛外図屏風」

「ああ!新築した家の竹屋根に、石乗せて重しにしてるやつか」

「え? 怖っ。見るとこ、そこなん?」

「何だよ」

「でも、それ、ええ目の付け所かも。国立歴史民俗博物館所蔵の、現存する洛中洛外図屏風の中で最古(大永5年・1525年頃)の作品は『歴博甲本(れきはくこうほん)』って呼ばれてるんやけど、応仁の乱で焼けた京都から復興しつつある風景を描いたとされてる。竹屋根の造りが、後の数奇屋建築の基になったとも言われてるし。でも何で、新築したってわかるの?」

「そりゃ青竹だからだよ。竹は切ってほっとくと白くなってくだろ。しかも、竹小舞に土塗って磨きをかける左官技術の最高峰が、今から行くゲジゲジ様の“大津壁”だよ。別名“大津磨き”って言って、今では施工できる職人は少ないんだぜ。大津壁は、一枚坪単価一千万じゃ効かねぇって話だ」

「た、たかが壁に、一千万!?」

「たかがって何だよ。お前は空ばっか見てるから壁の美しさに気付けねぇんだよ。昔はなぁ、今と違って石灰を粉砕した漆喰じゃなく、白土塗ってたんだってよ。ウェールズにも古城が一杯あるから、修復の時はライム(漆喰)を塗って…」

「石頭やと思ってたけど、まさか妖怪塗壁やったとは…」

「ディスってんのか?」

「いや、守備範囲の広さを褒めてんねやんか」

「まーな。そういや、この間九州廻ってた時、津久見市(つくみ)ってとこ通ったんだけど、そこがまさに石灰の産地で…」

「皮肉通じひんお人やなぁ…」

「聴こえてるぞ社長」

「怖っ。で、津久見がどうしたって?」

「そこにな、何と、宇宙塵(うちゅうじん)が降る島があるんだよ。Cosmic dust(コズミックダスト)。星が生まれた時にできる、星間物質の微隕石だ。…社長、お好きだろ?」

「宇宙塵?」

聞きなれない言葉に、思わず瞳を煌めかせて素で反応した佳帆の顔を見て、櫂は満足げに笑った。

ちょうどラパンは竜王ICを降りて国道へ入り、近江八幡の市街地へと向かっていた。



© kai hoshino
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「ほら、そろそろ近江八幡市に入るぞ。すげぇ美しい白壁の水郷の街だよ。それに、あそこに見えるのが安土城」

「えっ!織田信長の?ゲジゲジにあったん?美濃やと思ってた!」

「ほんと、お前歴史オタクな癖に、地理はからきしだな。何で穴太衆(あのうしゅう)の傑作を知らねぇんだよ」

「穴太衆?」

「石垣を自然石使って野面(のづら)積みする、スペシャリスト集団だよ。姫路城や彦根城も奴らの作品だぜ」

「穴太…、どっかで聞いたこと…、あぁ!大津市坂本の志賀高穴穂宮(しがのたかあなほのみや)があった穴太か!景行天皇が連れてきた人たちね!」

「誰だそりゃ?」

「もう、歴史の基本やんか。だいたい、なんでカメラマンの櫂さんが左官とか石垣の作りにそんな詳しいの?」

「昔、ウェールズに飛ぶ前、日本で左官職人やってたんだよ。近江八幡の白壁見て感動してな。その場で門叩いて、一番石頭の親父がいる組に入ったんだわ」

「えっ!? そうやったん!? ……あっ、ほなその石頭の組長さんから、壁の極意を教わったんやね!」

「……親方な。組長って、俺は組員かよ」

「あ、ちゃうかった、親方か!」

「ま、あの石頭の頑固さ加減は『組長』でほとんど合ってるけどな」

くつくつ笑う櫂を、佳帆は内心尊敬の目で見ていた。

確か、景行天皇は九州遠征で石工を連れて来たはずだ。

もしかしたら、宇宙塵が降るという場所に居た石工達だったのかも知れない。

櫂の岩石フェチが、長年紐解けなかった机上の論文調査をフィールドワークで裏付け、思わぬ突破口が開けてゆく…。そう、まさに「羅針盤」。

 

ふと、佳帆の脳裏に、深いフードを被って前を進む長身の男性の姿が浮かんだ。

手にクリスタルをつけたオールのようなものを持っている―。

 

「着いたぞ。お目当ての長命寺」

物思いに耽っていた佳帆は、不意に響いた櫂の言葉に我に返った。

櫂が車を停め、エンジンを切る。

「あ、運転ありがと。ここが長命寺…。って、えっ!?」

「何だ社長。俺はトレーニングするもんだと思って、ちゃんと登山靴装備して来たぞ。まさか、古文書ばっか調べて、知らなかったのか? 石段が808段あるって」

「は、808…」

フロントガラスの向こうに見える果てしない石段に絶句する佳帆を尻目に、櫂はカリマーの巨大な機材バッグを軽々と担ぎ上げ、不敵な笑みを浮かべて石段を登り始めた。

 

東寺での邂逅から4ヶ月。

膨大なテキストのやり取りを経て、少しだけ距離を縮めた「羅針盤(星の案内人)」と「書記官(アーキビスト)」の、星の海への本格的な航海が、「淡海(あふみ)」の畔(ほとり)でいよいよ船出の時を迎えたのだった。

 

To be…



© kai hoshino
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―――





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